復刻記事:人生の分岐点 

こんばんは!
GW直前です。

今日は木曜日。
先日とある番組でぼける可能性のある人判断テストみたいなことをしてまして。

アナウンサー曰く「誰でもわかる簡単なことですよ」
例えば「今日の日付とか」と。


?????今日の日付?

私は塾をしてますから曜日感覚はあるんですが(毎日時間割が違いますから)、実は日付感覚が弱い。

というのも今日が何月何日か良く分っていない。

しかも、私の年齢を時々忘れます。(いやマジで)

つい最近まで私47歳と思ってましたが、実際はまだ46でした。
先日眼科に行って診察券の年齢をみて気づきました(苦笑)。
さて記憶と言えば、このブログ。

気づかないうちに回数を重ねてました。
実は昨日の記事で2260件目。

なんと2000回を超えてました。
2000回記念やればよかった。
2000回を過ぎてもう1年くらいたつので、要は去年の今頃2000回だったんですね。

しかも、コメント数。こんな過疎ブログなのに5760件!
半分は私の返信コメントですから2でわると…なんと2880件!

ありがたいことです。

しかも、没記事も結構あります。調べたら下書きで止まっているものが20件ほどありました。

そのうちいつか世に出そうと思った記事を今晩復刻いたします(意味違う?)。

私が塾の先生になった理由です。

まあ大半の人には興味ないでしょうから(爆)、興味のある方だけ後半へどうぞ。

私はこれまで書いてきたように、パチンコが大好きでした。(過去形かよ!)
でも、就職、となると話は別です。
実は当時から東京の大手のホールは新卒を募集しており、確か○拓か、ダイ○ムかの資料は請求したりもしました。(もちろん冗談半分で)
当時私はバイトで大手のファーストフードをしていたので、飲食系のサービス業に一応決めていました。時代はバブルの終盤、まだまだ就職は楽勝で決まる感じでした。
大手のファミレスに就職は決まりました。
今思えばこの飲食チェーンという選択が微妙でしたが・・・・(笑)

就職してすぐに、昔かたぎの父が、盆暮れに帰省できないことに不満を爆発させ、当時の店長(上司)に電話でクレームを入れました。
まあ、盆と暮れはファミレスの稼ぎ時。ここで帰省するような社員はいないわけで(苦笑)。
しかし、父にそんな理屈が分かるはずもなく、そして、そんなトラブルになるであろうことが分かっていて、就職先にファミレスを選んだ私があほなのですが・・・。
結局、本部から慰留をしていただいたものの、半年ほどでやめることになりました。
しばらくは、大学時代のバイト先に出戻りで働きました。
しかし、今と違ってフリーターで生活するのは大変です。
そこで、求人誌で目にとまったのがホールの求人広告。
(また、盆暮れ休めない仕事を選んでる、懲りない私。ってかあほ。でもそれほどフリーターに疲れてたんです。)
行きました。面接に。
当時は大卒で面接に来るのがまだ珍しかったらしく、向こうの店長?らしき人が熱心に面接してくれました。

で、戻った後猛烈な自己嫌悪に陥りまして。
理由は3つ。
ひとつは、先に書いたように、また盆暮れ帰れない仕事を選べば、同じことになるにきまってること。もちろんいつまでも実家に左右されることへの葛藤もありました。
もう一つは大好きなものを仕事にできるかどうか。当時は今と違い、お金と時間があれば、それこそ1000円で30分でもあればパチンコ屋に行くほど好きでした。
当然負けまくってましたが(笑)、それでも今と違い額が小さかったので、大事に至りませんでした。その大好きなパチンコを仕事にすることへ少し迷いがありました。


要は・・・・


パチンコ屋に勤めたらパチンコできなくなるんじゃないか、と(笑)。まあよくよく考えればよその店で打てばいいだけですが(爆)。それほど好きでした。

最後は、やはり、実家への世間体。パチンコ屋さんが今ほどメジャーでなく、大手がまだそれほど多くない時代。床は板にワックス、出口は両開きの手動ドアなんて店もまだたくさんありました。しかも大学まで出してもらってですから。
でも今考えればこれは立派な職業差別です。しかも今現在は自営業なんで罰があたったのかもしれません(苦笑)。

結局数日悩んだ末、お断りの電話を入れました。自分で面接行っといて、迷惑な話です。逆の立場なら切れてるな、絶対(笑)。

その後ほどなく、新聞の拡張員の仕事(某Y新聞)をしましたがどうしても売れず(確か2ヶ月で私が契約したのは10件ほどでした。ダメ社員。ちなみに今でも商売下手、押しが弱いのは変わらず。お見合い時母から「あんたは押しが弱いから」といわれ続けているので、これは一生ものか、と:爆)。なぜ拡張員を選んだかは不明。やはりバイトにつかれてた?んでしょう。
ただ、この仕事では塾の仕事に使えるノウハウはたくさん得ました。

当然食っていくために、無職の期間は短く、バイトでつないでました。

で、翌年、25歳の時、たまたま見た、求人誌に塾の広告が出ていて、それに応募することになるのですが、ここでもすんなりとは行きません・・・。

それは、またの機会にでも・・。

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