風評被害
こんばんは
今日は水曜日
近隣の中学では中間テスト。
特に変わったこともなく、あす以降成績が返ってくるのが怖いです(笑)。
さて、今年は何と言っても震災とそれに伴う原発事故のニュースが多いわけですが、それは未だ減るようすがありません。
つい最近も福島産の花火を打ち上げようとしたら「一部」住民からクレームが入り、では、と取りやめると今度は「風評被害を広める」と「一部」住民からクレームが入る。要はどっちになっても同じこと。
TV局もテロップで「セシウム米」なる言葉を流し、ひんしゅくをあび(というか冗談で作ったらしいですが、冗談でも作るかね、普通)、そうかと思うと昨日大分県の絶叫大会でいっぱしの与党県会議員が「牛肉にセシウムはいらない」と絶叫し反発を浴びているらしい。本人いわく「国の対策の遅れへの怒りだった」らしいが、国への怒りが何でセシウム牛になるのか訳が分らない。自信も酪農家らしいが自分の言っている事がどのようにとられるか77歳にもなって分らないのだろうか?またそんな読解力の人間が県会議員をやっていて大丈夫なのだろうか?
本人いわく後付けであれこれ弁解しているけれども、はいた言葉は返らない。
いやいや、奇麗事を言うつもりはない。
放射能などの汚染が「あるかもしれないもの」をすすんで採りたくないのは、分るし、自分の子供などに食べさせたくないのも分らないこともない。でも普通は思っていても言わないものである。
最近の政治家やある種類の国民はやたらしゃべりたがる。言わなくていいことも言わなくてはいけないこともまぜこぜである。「奥ゆかしい」とか「忖度」とか「思いやる」などと言う言葉は死語になったようである。
しゃべるという行為は相手に理解を求めたり、納得させるための「有効な手段」である。
しかししゃべれば全て分るというものではない。
世の中にはしゃべってはいけないことも多々ある筈である。
いい子ぶんじゃね~よ。と言うご意見もあるけれども、私から言わせれば「悪い子ぶんじゃね~よ。」と言うことになる。
何でもかんでも正直に「言う」ことは美徳でもなんでもない。ただ気持ち悪いだけである。
震災は、または原発事故はそういう現代人の気持ち悪さを表面化させている気もする。
ちなみに私はあまのじゃくではあるので、例の輸入牛肉の狂牛病騒ぎだったかで牛丼屋さんが豚丼を始めた時もあえて連日牛丼ばかり食べたことがある。正直「安全」を「今さら」語るには私たちは日常無頓着に食べすぎていて意味がないと思える。
まるで、太った人がお弁当をたくさん買い求め飲み物だけ「ノンカロリー」のコーラを買うように。またギャンブルで金をバンバン使って損してる人が、スーパーで1円2円安い製品を吟味するように。
要は「何を今さら」と言う話ですね。
- [2011/10/12 23:47]
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