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短期集中企画「羽根物と私」

2013.05.21 (Tue)

こんばんは

今日は進路面談があるので、早めに塾へ。

来て見てびっくり、足場の組んであったビルの様子がさらにおかしい。

ん?

窓という窓に養生シートが貼ってある。(薄手のビニールシート)
これは塗装するためだろう。

と、のんきに構えていると…

ん?ってことは窓用エアコンが使えないということではないか…


あ~あ、困った困った。

っていうか来週の父母会に向けてどうしましょう…

早速不動産屋さんに電話してみる。


父母会に向けて準備をせっせとする。

日本史のお勉強もしないと、忘れちゃう。

さらにはパソコンのハードがパンパンになってる。素人なので変なファイルを削除すると怖い。
50Gの内残りが2G切ってるという…

換気もできないからかろうじて生き残ってるエアコンで…やはりエアコンが効きづらくなってる。


なんだかなあ。


さて、最近後ろ暗い記事ばかりでしたので、何かハートウォーミングな記事を書こうと思い、本日から短期不定期連載企画、私と羽根物と題して昭和のパチンコの思い出を書いてみます。
過去の記事とのかぶりを考えて、羽根物の機種とその思い出を語り尽くします。

本日はその一回目の序論と言うことで後半で

More・・・

私がパチンコと出会ったのは大学生になってからのことです。
時代はまだ昭和。
ちょうど日航機墜落事故で坂本九さんがお亡くなりになる直前に始めてパチンコ屋さんに入りました。

当時のパチンコ屋さんは素人が入りにくい感じの店もまだ多く、要は今のような大手資本、全国展開店が少ない頃です。
チェーン店もありましたが地場が多かったと思います。

自動ドアの店も多かったようですが、まだまだ両開きの分厚いガラスドア、床は板張りのワックスがけという店がかなり多い時代でした。

私の住んでいた地域ではほぼ一律でパチンコは40個=100円で打ち止め制あるいはLN制の一回交換、スロットは7枚交換の1回交換(ただしBARなら続けて打てる)が圧倒的で、ごく稀に7枚無制限の店があった程度でした。

店構えがそんな感じでしたから、客も(地域がらもあってか)香ばしい人たちが多く、今の様に若い人たちは多くはいなかったと思います。

店は大体、羽根物が多く、一発台(1~2機種)、デジパチ(当時はほとんど1300発機で2~3機種)、権利物が1機種程度、チューリップだけの台がごく稀にある程度。つまり羽根物、一発台、デジパチがすみ分けをしていたような感じでしょうか。

両替機も台間サンドはありましたが使えるのは100円のみ。500円使用可のサンドはまだ少なかったはずです。大体シマの目立つ所にある両替機で100円玉に両替してうつ感じでした。

500円一気に買うなんてのは勇気のいる作業でした(笑)。今なら普通ですけど。

羽根物は大体4000発打ち止めで、店によって連続遊戯NGの店と1000円分の球を買って連続遊戯OKの店がありました。私は打ち止め台を打ちたくてもこの「1000円一気買い」に抵抗があってなかなか終了台解放に踏み切れませんでした。今考えれば、だから勝率が低かったのでしょう。

今の羽根物と違い、等価無制限仕様(?)ではないので、本当に2~300円位で台のご機嫌伺いはできました。
まあ今考えれば全ての台がそんなに安いお金で出る訳ではないのですが、当時は数百円づつご機嫌伺いをしながら、打つ台を決めていくというやり方だったのです。釘がわかりませんでしたからね。

そんな時代羽根物はいわゆる10カウント規制の入ってすぐの時代だったようです。

平和はBIGTIGER(セロタイガーの後継機)やらエアプレーン
西陣はゴングやD-51、そしてレッドライオン
三共はアリゲーター(多分初めて音楽の出た羽根物)、レーシング(バイクの役物、正式名称は忘れました)などがあり、三大メーカー(いわゆる桐生メーカー)が多くを占めていました。
それでも地域差もあるのでしょう。
名古屋メーカーもボチボチと存在してました。京楽が多かった気がします。
昭和の末期に平和のビッグシューターが出た辺りが羽根物の全盛期だった気がします。

今とは比較にならないほどの機種の多さ。店により異なる品ぞろえ。
各メーカーとも工夫を凝らしたゲーム性。
今のデジパチの何の役にも立たない煽るだけのギミックと違い、大当たりに直結する重要な役物の動き。
それに伴って生まれる台ごとのくせ。

今日から短文ですが、この時代(昭和61~63年辺り)の思い出のある羽根物をご紹介していきます。

とはいえいつまで続くか不明です(笑)。

できれば画像も、と行きたいところですが、どこで手に入れたか忘れたものもありますので、不明な場合は画像なしってこともありますのでご容赦ください。

私の口癖。100円玉が立派なお金だった時代。

デフレデフレと言いますが、100円玉の重さ(もちろん価値的な)はあの頃の方がよほど重かった気がします。
今は100均があり、当時はない。だから物によっては昔の方が高かった物もあるでしょう。

昔は良かったと思うだけでは変わらない。
でもよかった(と思う)時代を忘れないためにすべきこともある。
23:10  |  パチンコ  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

Comment

No title

当時は今と違ってパチンコ屋さん毎に設置機種が違いましたので、初見のお店にはどんな台があるのかワクワクしながら入店できましたね。

こちらではパチスロで「BIG終了後1000円買いで開放後連続遊技OK」というお店もありました。
nob |  2013.05.22(水) 21:11 | URL |  【編集】

nobさんへ

スロもパチも店によって違いましたよね。
政令指定都市で結構大きい街で、しかもネットなどがない時代でしたから休みの日は電話帳で店を調べてバスで行く、なんて楽しみがありました。

客が0の店は入るのに勇気がいりました。

一回交換の方が勝ててた気がします。気のせいでしょうか(苦笑)。
ほりまさ |  2013.05.23(木) 00:59 | URL |  【編集】

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