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入試は誰のものか?

2013.09.04 (Wed)

こんばんは

今日から新学期開始です。
とはいえ昼過ぎに不吉な電話が。

夏期講習欠席した生徒の父兄で先日無事に復帰する予定だった生徒の父兄から。

ご相談したいことがある、と。

パターン的にこのパターンは
80%が退塾(数時に根拠なし)
20%が科目数の相談(成績アップのための策を相談する)


さて塾に行ってみると、定刻に父兄が到着。

結局は前者のパターン。

この場合私は深くは追わない。
夏期講習に別の塾を受講してその塾の方にシンパシーを感じた場合、こちらに分はないし、そもそもそういう隙を与えたこちらが悪い。

お役にたちませんで…と終わるところがどうも話が変。

話を聞くとお母さんは塾を変わることに納得していない。
それどころか、生徒の方も向こうの先生の「二学期からもうちの塾で」という一種の決め台詞でやられた感じがある。

生徒の成績はもともと悪くない。でも夏休みその塾で今一結果が出なかったらしい。
テスト結果も今一で生徒は父兄に理由をつけて釈明してるそうだ。

お母さんが納得していないのはそういう塾や子供への少しづつの不信の積み重ねがあるようだ。

そうなると話は別だ。はいそうですか、と転塾をOKする訳にはいかない。
うちの塾でなくてもいいが、その塾にすることは少し危険がある。

いくら去る者は追わず、と言っても生徒の目の前に落とし穴があるのに、もう塾生じゃないから見て見ぬふりはできない。

その理由1、その塾の先生は夏休み今一だったことを自分の塾の夏期講習の若干の失敗だったと言ったそうだ。
これは潔いように見えて塾の先生、特に管理者にとっては、絶対だめな行為。
確かに全ての生徒が講習会あるいは塾のカリキュラムで上手くいくとは限らない。しかしだからと言って塾に決定的な瑕疵が無いのに、生徒を引きとめるために潔く謝るのはほかの生徒に失礼だし、自分の塾の価値を下げることになる。

その理由2、代表の一つ下の社員がテスト結果を返却する時に表の見方などを教えていない。
受験生にとって模試は大切なもの。ただ田舎の生徒にとって耳慣れない言葉や、判定の意味(A~Dの判定の違い)、個別の正誤表の見方など普通は返却しながら、しかも中3生なら簡単な個別面談でもして目標設定、得点をとるための見方など指導すべきだが、それをしていないのは受験担当者としては致命的である。

その理由3、その代表の一つ下の社員が生徒に「入試は自分のために頑張るんだ。親も関係ない」と言っている。
これが私にとって致命的にダメ。
いや一般的にはそれほど素っ頓狂なことは言っていない。確かに、入試は自分のためにやる「側面も多々ある」。
しかし、親家族を抜きにした入試は私にとって「価値が全くない」
例えば、お姉ちゃんが受験生だとする。
夜十時ごろ、お姉ちゃんは勉強している。弟はゲームをしようとしている。ここでお母さんが「お姉ちゃんが入試勉強しているから夜遅いゲームは我慢しよう。入試が終わるまで。お母さんもTVを見ないようにするから」と言って、弟はゲームを(最初は渋々でも)我慢したとする。

数カ月後姉が高校に受かった時、お母さんが弟にこう言う。「あなたがゲームを我慢したからお姉ちゃんが勉強に集中できた。あなたもこの合格に少しだけでも役に立ったんだ」と。

弟はどう思うだろうか。多分嬉しいのではないだろうか?

ことほど左様に一つの合格が様々なところで喜びの波になり伝わっていく。


要は、私の考える入試。「入試は誰のものか?家族のものである」

入試は確かに孤独な戦いである。だからこそ家族の直接間接の強力が必要なのである。そのことを指導する先生が否定するようなことを言ってはいけない(と自分は思う)。
塾の先生は子供だけ相手をすればいい訳ではない。
親はお金を出すだけの存在ではない。

生徒にしょっちゅう私が言うこと
「親は子供のATMではない」
「親は子供の奴隷ではない」=(子供だからと言って親が何でも言うことを聞くというものではない)
「受験生が偉い訳ではない」=(受験生だからと言って家の仕事をさぼって良い訳ではない)


今お母さんがすべきことは受験生を「見守る」視点を持つことだし、この子供は「受験が家族の物」であることを認識すべきである。

確かに生徒から見て「受験はお前らのものだ!親も家族も関係ないんだ!」という先生にある種引かれるのは分らないものではない。

しかし

人間は木の股から生まれてくる訳ではない

家族あっての自分でしかない。少なくとも同居している間は、あるいは独立するまでの間は、好むと好まざるとにかかわらず親は子に子は親に絡み合いながら家族として行動するしかない。それは様々な事柄が「家族の行事化」せざるを得ないことを意味する。それぞれがそこから逃げることに意味など全くない。

そのことが分っているはずの指導者が
「親なんて関係ないぜえ~」とやることが果たしてどれだけ意味があるのだろう。

無責任だと思う。
そんなことを言いながらどの面下げてお母さんと進路面談ができるのだろう。
そして、その「関係ない」親に何を語るのだろう?

私は言葉の勢いや「やる気」とか「情熱」とか気持ちでやろうとしてる入試が大嫌いである。

「合格したい気持ち」だけで合格するなら全員合格する。だって皆合格したいんだから。




結局お母さんとは2時間ほど話して、その塾に「お母さんが納得」しないのに、一番重要な入試の半年を預けて本当に良いのか?と問いかけて終わりました。その間お母さんが感極まる場面がありましたし、私も涙ぐんでしゃべってました。

でも同時にこうも思いました。こういう塾がはびこる(あえてこう言う言い方をします)ようではますます、私が異端化していくなあ、と。こりゃあますます私の出る幕は無くなるなあ、と。

お母さんは一旦話を持ちかえる形になり、家でもう一度相談することになりました。

まあ退塾は覚悟の上で、一体どうなっていくんだろう、と、ふと思いました。
23:34  |  日記  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

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