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GW直前に新企画、パチンコ自分史

2016.04.29 (Fri)

こんばんは


今日は木曜日


明日からGWです。

長い人で10連休らしい。

さすがに私はそこまで休めず7連休ですが、生徒の表情も心なしかニヤニヤ?

とはいえ部活動もあるのでそうそう楽もできないでしょうが。


中学生で体験の生徒一人を含め欠席はなし。


5月は学校行事が多く、6月は市総体・期末、それが終われば夏休みと続きます。


というわけで明日からしばらく更新できません。

みなさんのGWが良いものであることをお祈りしています。


一日位はホールに出陣するかなあ。でも最近の強烈な機種で引けるイメージがないですからねえ。


連休前なので今日は久しぶりにパチンコの話でもします。

大学1年生から打ち始めたパチンコ。気がつけば30年になります。

と言っても思い入れ、という形で言うと最初の5年ほどだけが最強と言っても過言ではありません。


ブロックに分けると

大学時代85年~89年

就職、退職、フリーター、塾講師新米時代89年~94年

Uターン時代(1)94~98年

Uターン時代(2)99~05年

独立時代05~現在


の5つくらいでしょうか。

濃密なのは最初のブロックぐらいでしょうか。私のブログで語られる数々のホールの話のほとんど(主に羽根モノ:旧要件、デジタルでない権利モノ、一発台、スロの1.5~2号機)がこの季節です。


せっかくなので今日からパチンコ自分史を週一くらいで書いてみます。

大学時代の話はさんざんこのブログで書いていますから、第一回の今日は大学時代のおさらいといろんな初めての機種を書きます。

続きは後半で。

More・・・

大学時代まではパチンコにあまり触れたことはありませんでした。

せいぜい、小学校6年の時(79年)中耳炎になって、父が隣町の耳鼻科に車で送迎してくれて、私が治療している間に、父はその病院の真向いにある小さなパチンコ屋で打ちながら待っており、治療が終わるとそこに行って父と一緒に帰る、というのが私の中のパチンコ屋の最古記憶です。調べるとまだフィーバーやゼロタイガーの出る前ですからおそらく手打ち台の時代だったのでしょう。

私が初めてパチンコを打ったのは店ではなく、高校時代駄菓子屋の前にある手打ちの台でした。中央の役物に入ると場所によってコインが払いだされます。本来はそれで終わりなんですが、私が結構うまく10円でかなりの確率でコインを取るので店のおじさんがある程度たまったコインと駄菓子を例外的に交換してくれました。合法的な意味では初めての景品交換(笑)。

でも高校時代はそのパチンコだけで町に2件あったパチンコ屋さんには入ることはありませんでした(厳しい学校だったので入ったのがばれるとアウトで担任がパチンコ好きで合う確率が高かった)。


大学に入り、友達もおらず、バイトもまだだった私は休みの日、暇しておりました。大学が少し遠かったので下宿先からバスで通学しておりました。その最寄りのバス停の前にあったのが今は無きHというパチンコ屋でした。入り口は両開きのガラスドア。床は黒光りした木製。椅子は可動式の低い背もたれの丸椅子。そこでバスから降りた僕は4月のある日立ち寄ったのです。打った機種は忘れもしないビッグタイガー。ゼロタイガーの後継機種で10カウント18開閉、貯留のない(当時はまだ貯留の機種がない)機種で、画期的なのは飛行機がV入賞すると上下するのですが、当時はそれが最初だったので画期的かどうかは不明です。昔は今のようにガラスの枠がへんてこな形ではなく全台四角でしたから、遊戯方法と書いた紙がガラスの右下か左下にはさんであって、それを見てなんとなく打ち始めました。確か1~2回かかったと思います。800個入りの小箱に半分ほどたまって、でもそれを飲まれたのは鮮明に覚えています。

046fe3c5.jpg

画像はビッグタイガーです。


初めて景品に変えたのはブログでも書きましたが、そこから近い(当時は)国鉄駅前の小さな店。三洋の交通安全やタコフィーバーなどがある中で私が打ったのは西陣のD-51。800個の小箱1箱ほど出ました。緊張してカウンターに持っていきました(換金できるのは友人から聞いて知っていました)。当時はその地区では40個交換がほとんどでしたから小箱1個で約2000円。換金と言ったはずなのにボールペンを数本くれただけでした。まあ今思えば何一つ店にミスはないのですが(笑)、当時は「換金って聞こえなかったのかなあ」と思って、そのケースに入ったボールペンを分解してペンとして使いました。


初めてパチンコで現金に交換したのはそれから間もなく(友人に換金の手順を聞き)、確か大きな駅前の商店街のNという店の平和のモスラだったと思います。そして同じ店で夏ごろ初めての終了を経験します。当時は羽根モノは3000~4000発で終了でしたから先ほどの800個の小箱で4~5箱。

それが出てしばらくすると台にストッパーがかかり球の打ちだしが止まります。初めての終了をしたのは平和の鬼ヶ島という羽根モノでした(どうやらメジャーではないようです)。

そこから加速度的にのめりこんでいきます。

デジパチの初あたりは確かフィーバーゴールドか京楽の1300発機のサンスカーレットだったと思います。また一発台の初当たりはスーパーコンビでした。権利モノは(多分)京楽のコスモアルファか大一のハードロックです。店は記憶してますがどっちが先かが思い出せません。

スロは初めて打って当てたのはニューペガサス。一回交換で7枚交換で、BIG一回でパチンコの800個の小箱がいっぱいになりました。で、ああ、2000円くらいなのかと思い5000円以上の両替だったのでびっくりして以降お金が出来るとスロを打ってました。今のように情報誌やネットがそんなに無い時代。天井や吸い込み枚数などわかっていればもっと楽しめたのになあ、と残念でなりません。


とはいえ大学時代は羽根モノを打つのが8~9割でした。お金がないのもありましたが、本当に数百円で遊べたし、第一、球貸のサンド(当時はそれすらない店もまだあった。その場合シマ端の大きい貸玉機かカウンターの貸玉のどちらかでした)は100円しか受け付けないものが多く、500円玉対応になったのは大学を卒業するあたりだった気がします。

数百円を両替して鳴きの具合、寄りの具合を見て、移動するか、打ち続けるか決める。または出た球を持ってあっちこっちの羽根モノを打ちまわる…


パチンコ屋で100円が使えなくなった日、パチンコ屋から小箱がなくなりドル箱だけになった日に実は私の中でパチンコ第一章が終わったのかもしれません。



そして大学を卒業して待っていたのはプライベートも含め冬の時代でした。

それはまたGW明けに。

02:36  |  パチンコ  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

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