05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

スポンサーサイト

--.--.-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告

かつて好きだったもの その2

2016.12.21 (Wed)

こんばんは

いや~。今年もあと10日を切りました。

あ、年賀状買ってない…

汗)


さて前回に引き続き前は好きだったものを書きます。

二回目の今日はF-1です。

F-1を最初に見たのは大学生のころです。

ちょうどフジテレビで中嶋悟が参戦することでF-1を放送しだしたころでしたが、私がはまりだしたのは、マクラーレンホンダにセナとプロストがいたころで、かつ、両方とも強かったため仲が超悪かったころでした。
ちなみに中島悟のロータス最終年からです。ちなみにセナと中嶋は87年チームメイトでした。

最初こそロータスはホンダエンジンでしたが、最終年はエンジンの提供がなくなり、非力なジャッドエンジンになりました。

でも今でも記憶している最終戦。それは中嶋のロータスでの最後の試合。(オーストラリアGP)
豪雨の中始まったレースは主要なレーサーが次々とスピンする中、古館アナが言っていた納豆走法で追い上げてもう少しで表彰台の4位でフィニッシュします。

しかし鮮明に記憶しているのはこの試合で日本人初のファストラップをたたき出していることです。小林が最近更新するまで日本人唯一のF-1でのファストラップでした。
日本人らしい走りで、中嶋を応援し続けました。この後決して強くないティレルへと移籍して91年に引退します。

基本日本人を応援するのですが、あの頃はドライバーが面白かったので雑誌を読みふけりました。
古館アナ曰く音速の貴公子アイルトンセナ、日本人に愛され不幸にもレース中の事故で亡くなりました。亡くなった日、記憶が確かなら大分に戻った年(94年)塾から戻ってニュース23を見た時事故映像が流れてショックを受けたはずです。大分はフジ系の夜のスポーツニュースがネットされてなかったのです(夜のニュースはTBS、日テレ、朝日)。
さらにはプロフェッサーと呼ばれたアランプロスト。教授の名にふさわしい考え抜かれたレース運び。速いというより上手いレーサーでした。
暴れん坊、ナイジェルマンセル。英国紳士であるはずなのに走りは豪快そのもの。いつだったか忘れましたがピットから出た後好感したばかりのタイヤが外れたり、同じ年にゴール(チェッカー)目前でエンジンが止まって優勝を逃したり黒旗無視したりとなんというかドラマティックなレーサーでした。

ネルソンピケ。かつては中嶋のチームメートでしたが、実は3回もチャンピオンに輝く名ドライバー。私が見始めたころはもう晩年でした(だから強くないロータスに来た?)。しかしチャンピオンの名は伊達ではない。90年の日本GP(鈴木亜久里が表彰台に立ち、中嶋も6位になった)でセナとプロストが衝撃的なリタイアでいなくなった混乱のレースで当時ベネトンにいたピケが同じブラジル人のモレノと二人で1、2を決めた試合。あれは鮮明に覚えてます。ちなみに当時のベネトンのマシンはロリーバーンのデザインで団子っ鼻のようなノーズが特徴でした。

ミハエル・シューマッハ。確か緑色で7UPの広告が目立つジョーダンチームあたりからのデビューだった。ジョーダン、ベネトン、フェラーリと移籍するごとに強くなる。7回も年間チャンピオンになり特に2000年代のフェラーリ時代はやばいくらい強かった。引退後不幸な事故で一時は生命の危険もささやかれたが幸運にも一命をとりとめたらしいが表舞台には出なくなった。個人的にこの人は将棋の羽生さんとかぶる。それくらい強かった。

著名な人以外で印象に残っているのは数人いるが、一人、と言われれば、リカルドパトレーゼを挙げたい。古館曰く鉄人。出走回数が多く、無事これ名馬の典型で、速さも持っている。先ほど書いた中嶋の雨のオーストラリアGPでは中嶋の数秒前を走っていて私は不謹慎だが「パトレーゼ!滑れ!リタイアしろ!(そうすれば中嶋が表彰台になる)」と願っていたが、さすが鉄人。最後まで粘った。当時の盟友でそのレースで優勝したティエリーブーツェンとともに90年代全盛期になる少し前のウィリアムズを支えたレーサーだ。

さていつから見なくなったのだろう。佐藤琢磨がBARホンダで出ていた頃は欠かさず見ていた。いやそのあとのスーパーアグリの悲壮なまでの奮闘も見ていた。そう、スーパーアグリが撤退したころから急速に興味が減退した。だから最近の日本人ドライバーをほとんど知らない。

第一ポイントのつく入賞が8位までになったあたりから心が離れた。今回調べて知ったことだが、今では10位までポイントがつくらしい。出走台数にもよるが2人に1位はポイントつくじゃない?
しかも、2014年は最終戦のポイントが倍になるなんてシステムだったらしい。なんだ、そのバラエティ番組のクイズみたいなシステムは。

やはりポイントは6位までだな。

ちなみに見ていた頃は私も含めにわかファンが多く、人気もあり、参入チームが多かったため予選の前に予備予選まであった。(足きりで予選に出られないチームがある)。

先日ジェンソンバトンが引退したそうだ。ジャンアレジもとっくにいない。ルーキー時代をこの目で見た選手がいなくなる。私も年をとったのだな、と思う。ジャンアレジと言えば後藤久美子(ゴクミ)は元気だろうか…

追記)雨のオーストラリアGPもセナプロ追突の日本GPもマンセルのタイヤ外れ→黒旗もすべてユーチューブで見ることが出来る。良い時代になったものだ。

そういえば、チーム乱立時代にライフというチームがあった。普通エンジンはV8、V10、V12などエンジンのシリンダーをV型に置くのだがW12型というエンジンでエントリーしたのだった。仕組みはなんとなく理解したはずだったがもう忘れた。奇抜だったのか日の目を見ずにこのチームは消えた。要は…F-1は資金力がすべてではないがかなり重要だということだろう。
03:21  |  日記  |  Trackback(0)  |  Comment(2)

Comment

F1はセナ・プロの時代に大ブームが来て、その頃が一番面白かったです。

マンセルやベルガーも人気ありましたね。

セナの事故死の後、シューマッハの台頭があり、その後レギュレーション変更により赤いチームしか勝たなくなってから見なくなりました。

そう言えば、ピレリタイヤはいつもバーストしていましたね。
nob |  2016.12.22(木) 12:03 | URL |  【編集】

nobさんへ

セナもプロストもあの陰険な感じが一つの味でしたね(笑)。
逆にベルガーは良い人っぽくて人気ありました。あくまでもセナのナンバー2に徹してましたし。

>赤いチーム
あの頃は本当にあそこばかり勝っていましたからね。インチキじゃないですがしらけてましたね、確かに。

タイヤはグッドイヤーとブリジストンが良くてピレリとミシュランは今一な感じがしました。いつだったかアメリカGPでミシュランタイヤ勢が棄権して数台だけでレースをしたこともありました。(あれも優勝はシューマッハでした)
タイヤで荒れるレースは見ていて実は面白いんですけどさすがに棄権はやりすぎでしたね(笑)。
ほりまさ |  2016.12.22(木) 21:19 | URL |  【編集】

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (非公開コメント投稿可能)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://inakajukublog.blog72.fc2.com/tb.php/2856-a0d9adb0

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。