アラフィフの就活終了で思うこと 

こんばんは
タイトルも一新し、自営の塾も畳み、男一匹やり直しの日々が始まりました。

実は職安に通うのは人生で初めてで、おそらくこの25年で様々なところが進化していると思います。
現在の職安は(昔を知りません)、①まずは受付で登録のカードを作成します。カードといっても保険証のカードのペラペラ版のようなものです。②それを作ったらたくさんあるPCの前に座り希望する条件を入力し職を探します。PCを使えなくてもタッチペン方式に強調文なっているのでほとんどの人が大丈夫。③希望する職が見つかったら求人票をプリントアウトします。複数でも可。④その求人票をもって窓口で相談員らしい人に相談しどこに何人応募があるとか、実は打ち切りになっているなど教えてもらい、面接をうける会社を決めます。⑤その場で相談員がその会社に電話をし、面接のアポを取ります。この場合、その電話で面接日が決まることもあるようですが、まずは履歴書などを郵送し会社の方から面接の連絡があるようです。⑥履歴書や職務経歴書を郵送し会社から面接日の連絡があります。⑦面接に行きます。⑧合否の連絡があります。不合格の場合、封筒が来たらその中に、自分が書いた履歴書と職務経歴書と「この度は応募ありがとう!頑張って考えたんだけど今回は(次回はないけど)不合格だったよ。ごめんね。あ、そうそうあなたのこれからの人生にいいことがあることを祈ってるからね!ふぁいと!」といったことを敬語で書いてあるお手紙が入ってます。

一方、現在はネットが発達しております。PCだけでなくスマホでも「仕事さがしはいん〇〇〇ど」や「バイト探しはタウン〇〇〇」やばい〇る、〇キャリア、〇たらいく、などなど佃煮にするほど媒体があります。
今回それらの多くに登録をして職安と並行して就活をしてみました。
いわゆる自動車以外資格をなにも持たないアラフィフ男性があべみくすの効果か日銀の政策の効果かそれとも偶然が都会では景気が回復しているようなので、昔なら鼻にもかけられないスペックの私が果たしてどうなるのか?どうなったのか?をご報告し、同世代の就活のご参考になればいいな、と。

まず塾の求人ですが、県庁所在地とはいえ地方ですから2~3月に翌年度の準備は終了しています。また大きな塾、中堅塾の多くは35歳以下の求人は継続的に(一応)していますが、私の年は私が見たところ少ない。また個人塾で小さいところは人材難のところもあるのですが社員で一人抱えることができないところも多いのです。でもまあ、これは予想していました。

よって、作戦として2つの柱を立てました。一つ目は塾の先生を捨てて全くの異業種の社員として働くこと。二つ目は来年度の塾の求人時期まで(早くて運が良ければ夏季講習前)バイトの掛け持ちでしのぐ。
この二つでこの1か月強ぐらぐら揺れました。

まず、ネットの媒体を利用し、介護、ネットカフェ、塾の講師(のバイト)、いろいろなところに応募してみました。


はい、ここで問題点1!
ネットで応募するのですが、応募してもメールの返信はおろか電話すらかからないところがけっこうあること。アラフィフ不要なら書いとくか、書類選考で落ちた体裁にしてメールで返信ぐらいしても良くない?
問題点2!
年齢を不問にしているくせに、若い人が活躍中!なんて書いてあったり、たぶん年齢で差別するのは法律で禁止されてるのかわかりませんが、きっちり書いてほしい。採用する気もないのに面接や履歴書を送ったりするのはむなしいです。
問題点3!
男女雇用機会均等法があるためか男女をかいていないものが多く「事務職」で求人票がでていて、いざ相談員に聴いてみると「女性だけ」だったりする。こういう形だけ法律を守るのはどれほど意味があるのですか?
問題点4!
連日うざいほど求人のメールは来る。でもその内容は東京の求人だったり、海外の転勤ありの求人だったり、ひどいのは「あなたの経歴を拝見して是非うちに!」という求人でタクシーの運転手だったり(ちなみに二種免許は持ってません)、それも地元ではなく他の県だったり。つまり応募しようかな?あるいは「おや?」と思う程度の求人はその体力なメールのなかの1%以下ということです。ひどいのは県の指定をしているにもかかわらず東京の求人を送るサイトもあります。つまり送るのも返信するのも機械がやっているんでしょう。

「そういうの」をなんとも思わない方や「質より量」の方はネット求人がいいでしょうし、少なくとも面接まで確実に持っていきたい人は職安の方が賢明ではないかと思います。まあどの相談員にあたるかは運でしかないですが(苦笑)。


今回面接したのが5件。うち登録のみ合格が3件、不合格が1件。

で、無事に就職は決まりました。しかも一応塾です。が、これはいきさつも含めちょっと書けません。普通ならあり得ない展開から面接、採用になったからです。まあ今までのキャリアが役に立ったとは言えるのですが、強烈な運とも言えます。そして、ここが重要なんですが私自身この就職が正解かどうかわからないという(笑)。いえ、変なブラック企業ではないですよ(笑)。大きい会社ではないですが社長もしっかりした方ですし。会社も脆弱というわけではありません。なんというかぼんやりとした不安みたいな?

せっかくアラフィフの方に参考になれば、と思い書いた記事ですが全く一般性のないことになり反省しております。

とりあえず上の問題点だけ参考にしてください。

と、いうことで、私のこのブログから自分の職や塾に関する記述はこれが最後になると思います。

私を直接ご存知の方でお気になる方は直接メールでお問い合わせください。

では!

タイトル変更 

こんばんは

さて塾がなくなってからのことを話すのですが、ちょっとまだ確定しておりません。

どちらにしても業種は同じ塾になると思います。
とはいえ、今までのように匿名とはいえ塾の自営であれば結構攻めた内容で書けると思いますが、勤め人になれば、起こったことを書くことができません。かといってアイスの冷蔵庫に入ったり、パンに針を混入することをアップするとどえらいことになりますし(ってか、しないし)。

というわけでこのブログはタイトルを大幅に変更し、世の中で起こる様々なことを書いていこうと思います。


ちなみにタイトルは私の性格のゆがみが良く出ていると思います。

ちょっと前までヒアリが日本に数匹入っただけで連日大騒ぎしていたんですが、あの後ヒアリはいなくなったのでしょうか?

このように日本人の、というより日本のマスコミの報じることなどをちょっとまがった視点でとらえていきたいと思います。

更新はどうなるかわからないですが、できるだけ頑張ります。

では、また!

この1年の出来事、最終回 

さて、そんなこんなで1年夕方~夜は塾の授業、深夜はバイトの生活を1年続けて、何とか完走できました。一番怖かったのは病気になること。バイトもそうですが本業の生徒にも迷惑をかけますから。幸い重度の病気にはかからず、先日入試を終えることができました。

今年の入試は全員合格こそなりませんでしたが、内容的には充実していて成績が落ちた生徒はいませんでした。全員入塾時よりも大小の差はありますが成績が上がり受験を迎えることができました。本当に生徒はよく頑張りました。
中3だけでなく2年生も成績が落ちた子はいませんでした。(ちなみに中1は最初からいませんでした)

受験が終わって合格発表を終えて、塾に戻って椅子に座ると、この1年のことがぶわっと思い出されてきました。
うれしかったことはたくさんあります。今年一年はやめた生徒がいなかったので(まあ生徒自体が少ないんで)つらかったことより多かったです。
特に今年は私がしばらくバイトの先生に任せっきりだった英語の授業もすることになり、久しぶりに英語の予習をしてから望みました。5科目の中では苦手だった英語を、受験英語を指導するまでにするには完全な予習が必要です。とはいってもやはり、理数社に比べれば付け焼刃です。こんなことなら少しでもやっとけばよかった、と思いつつ、自分なりに、板書、テスト、授業などを工夫しました。時にはユーチューブの英語の先生の授業を参考にしたりして(汗)。
そんな中うれしかったのはある日父兄と面談したとき「英語の授業が分かりやすくて子供が喜んでいます。点数も前より上がりました」とおっしゃっていただいたことです。
まあ生徒のレベルに近いという意味では喜んではいけないんでしょうが(汗)。
数学、理科、社会はいつ生徒が質問に来ても平気でしたが、英語は結構ドキドキでした(汗)。

それでも1年、トラブルもなく乗り切れました。

いや本当にうちの生徒はよく勉強しました。
きつかったでしょうけれども。

きついといえば、私がきつかったのは夏休みと冬休みでした。
何しろ講習会は塾である以上朝から夜まで授業や自習で開けていなければいけません。しかしだからと言ってバイトをそこだけ休むわけにもいかない。よって、朝9時から授業、自習をやり7時まで開けて、そのあと11時まで塾で仮眠、12時から深夜のバイト、で、4時ころまでやって家に帰りシャワーで汗を流し、着替えて塾へ。朝5時から8時まで塾で仮眠。で、9時からまた授業…
家で寝られるのは、週に1回程度でした。これはきつかったです。もうアラフォイフですし。でも何とか持ちました。もちろん生徒や父兄には内緒でした。

そして受験が無事終わり、残った数少ない生徒とその父兄に「申し訳ないけれども3月でこの塾を閉めます。今後のことはご相談にのります」とお話ししました。
ありがたいことに皆さん一応ご理解いただいて、怒って返金騒動になったりはしませんでした。中には「もし塾に再度勤めるときは教えてください。そこに行くかもしれませんから」とおっしゃっていただく方もいて、数が少なくても私は「支えているようで支えられていたのだ」と実感できました。

今一人で塾を引き払う準備をしています。
大量のテキストをくくってほとんど捨てました。紙類が多くてうんざりしています。小さいものは自家用車に積んで、処分場まで運びました。でもまだ大量に残ってます。

あと1週間で私の自営の小さな塾はなくなります。

しかも就職活動もしなければいけません。

アラフィフには厳しい就職でしょう。塾は経験職ですがどこも若い人を優先するでしょうから苦戦するだろうなあ、と。

アベノミスクじゃなく、アベノミクスの恩恵を受けられるか?それとも所詮は都会の大きな会社だけの話なのか?(笑)

どなたか雇っていただけませんか?(涙目、苦笑、でも結構本気)


私がこの地で塾を始めた時、13年ほど前ですが、数件しかなかった塾も増えました。しかもほとんど私より大きい。
前も横も斜め前も大手の塾です。速い話、私は商売で敗れました。

いつかわかりませんがこのブログで書きましたが、私の教え方や塾が支持されなくなったら、潔く塾をたたみます、と。
結局その日が来たということでしょう。ただ最後まで受験が全うできて3月という年度替わりまでできたこと、そして、家賃、教材代など踏み倒さずなんとかきれいに辞められたこと、そして、最後の最後まで生徒は0にならなかったこと。

これを心の支えに、また一歩を踏み出します。

このブログの今後は次回以降で。

この1年の出来事 第二夜 

面談がおわりました。
終わった時点で男の子が皆辞めて、女の子が全員残るという変な現象が起きました(まあリアルでは全くもてませんが、おばあちゃんと子供にはもてるようで・・・
人数的にギリ家賃と光熱費はペイできることになりました。ただそれだけ。よってこの時点でもう一年塾を続ける=バイトをやることが確定しました。

さて、バイトといえば今の僕に間違いなくできることは家庭教師や塾の先生のバイト。求人もあります。年齢もバイトなら関係ないところも多いです。しかしこれは最初から考えませんでした。なぜなら夏期講習や冬期講習がかぶってしまうため自分の塾の講習会ができません。
よって、時間帯のまったくズレるバイトでないといけません。そう、それはすなわち深夜のバイト。

深夜のバイトといえば、運送会社の仕分けやビルなどの清掃の仕事、あるいは警備会社。
超久しぶりに書く履歴書(前職の時が1997年ですから20年ぶりくらい)に打ち震えながら(笑)、最初に応募したのがガソリンスタンドの深夜の清掃。しかしこれは不合格。世の中のせちがらさを味わいながら、次に応募したのが青果部門の運送会社の深夜の仕分け。
各小売店に運ぶためにA店はキャベツが何箱、白菜が何箱・・・というようにハンドリフトという台車みたいなものに乗せて分ける仕事です。始めたのが昨年の4月10日。時間は深夜4~5時間。
いや~、最初は慣れない運動に汗だくで、きつかったぁ。
早朝に帰っても食欲がなく、毎日着実に1kg弱体重が落ちるありさまで、結局1か月で10kg痩せました。
しかも何もわからないので、やることが全く分かりません。少しづつ教えてくれるのですが、間違えたりすると、どの会社にもいる嫌味な方から怒られるので、正直最初の1か月は出勤が憂鬱でした。事実私と同じ日に入ったバイトの人は3日目に来なくなりました(苦笑)。

しかし、やはり慣れてくると怒られる回数も激減し、2月目にはほとんど何も言われなくなります。そうすると楽しくはないものの(笑)なじんできます。で、なんだかんだで一年続いて先日のある日、3月いっぱいで退職届を出すことになったのです。

人によっては塾の先生なんだからそんなバイトは…と思う人もいるでしょうが、決して負け惜しみではなくやってよかったと思います。
理由は3つ。
一つは現実的にこの1年で15kg減量したこと(爆)。〇〇ザップならお金を払うところですが、逆にお金をもらって痩せるのです。う~ん健康的。
二つ目は今まで知らない仕事をすることで純粋に世界が広がったこと。野菜や果物の種類や産地があんなに多様だとは思いもしませんでした。しかもふらっとスーパーに行ったら見覚えのある商品を目にして、「ああこれ俺が出したものかな?」なんてちょっと感激したりして。
最後は怒られたこと。負け惜しみじゃないですよ(笑)。
この十数年自営をする間、誰かに怒られる、ということがありませんでした。しかし仕事柄、悪いことをした生徒は叱らないといけません。この「叱られた時の感覚」を忘れていた気がします。このバイトをしてその感覚を思い出しました。今まで生徒を(自分なりに考えることがあってですが)叱ってきて、実はそれが原因で嫌な気持ちになって塾の敷居が高くなったり、退塾した生徒がいるかもしれない、と、叱られる中思うようになったのです。特に最初の1か月あたり「ああ、今日は行きたくないなあ」と思っていたころ、ある日ふと「これは生徒たちの気持ちかもしれない」と思ったのです。
この1年結構我慢強くなったと思います。これは必ず本業に生きると思います。
もちろん悪いことをしたら叱らないといけませんがそのボーダーや叱り方をその上司やお局様のような(男ですけど)先輩バイトの叱っている姿から反面教師にできました。
で、約1年たった今では最初のころ怒っていた人は最近じゃニコニコ笑って話しかけてきたり、ちょっと残業すると「ありがとう、ごめんね」と言われたり。1年前と同一人物とは思えません(笑)。
しかしこれも考え方の問題で「相手が変わったのではなく、私が変わったからそう見える」のでしょう。

で、もう一回続きます。

1年ぶりの更新+ご挨拶 

最後の更新が昨年の3月の10日ですから実に1年以上放置いたことになります。
何かあったのか?

ええ、ありました(笑)。
それもかなり。しかもその連鎖はいまだに継続中です。

このブログをどうするか迷いました。
匿名ブログではありますが私のことをご存知の方もおりますし、どこまで書いてよいものか。
でもこのブログのおかげで様々な方と知り合いました。実際に出会った方、声だけの交流の方、住所交換をさせていただいてお世話になっている方など様々な交流がこのブログで広がりました。
その数10名を超えています。私のリアルの交流より多いくらいです(笑)。
またこの更新をさぼっている間にも数は少ないもののお越しになる方もいらして、やはりこのままとんずらというわけにはいかないだろうと思いました。

まずは1年前の話から致します。

1年前の2月ごろ、私はある決心をしていました。
この小さな塾をたたむことです。
理由は2つ。
きれいごとをいうわけにもいきません。一つ目は経営的なこと。塾を作った12年前は塾はそれほど多くなかったのですが、この間に大小さまざまな塾ができたこともあり、また私のような個人塾がチェーン展開している大手の塾に互角に競うことはむつかしかったようです。ひとえに私の力不足でしかありません。私の場合この塾を開いた時からして大志をもっていい意味で自分の力を過信して作ったわけではありませんので、ある理由でやむを得ず始めたところ意外に生徒や父兄に恵まれてそれなりの実績を出し、男一人が十分に食えるくらいの稼ぎを得させていただきました。しかし、大手の塾の創意工夫、努力の前ではそういう個人的な矜持だけではやっていけなかったのです。尤もそれはこの仕事を始めて四半世紀ですからある意味わかっていました。
二つ目は健康的なこと。一昨年の末に体調不良がおこり病院に行ったところ(通院は1年ほどやめていました)、血液検査の結果が異常に悪く医者から叱られ(笑)、入院を勧められたのです。その時は投薬で何とかしてもらったのですが、自営の塾で私が半端な時期に倒れたら塾生に迷惑がかかる、と。さらにバイトの先生が2人とも大学を卒業し就職が決まって現状新年度から独りぼっちになることが決まっていたこともあり、辞めることを考えたのです。

そこで、昨年の入試が終わった頃、つまり、前回のブログの更新日のあたりで、行動を開始しました。
まずは卒業生以外の生徒を受け入れてくれる塾を探しました。近所の塾で私の塾より大きいところで(また潰れたらかわいそうですから)社長さんとコンタクトとれるところ。
付き合いの狭い私ですから結局2つしか見つかりませんでした。その塾(仮にAとBとします)の塾長にあいさつに行き、うちの生徒が3~4月中に移動したら入会金を免除してほしい、と。
二人とも快諾していただきました。ちなみにAは中堅で教室を複数持っている塾。社長さんは共通の業者さんを間にしてお願いしました。一方Bは以前の塾にいたころの私の上司。独立は私より後ですが、私より大きな教室で社員も雇っています。
この二つの塾から入塾パンフをいただき、在塾生の父兄に「三月いっぱいでやめたいこと」「このパンフの塾であれば入会金を払わず入塾できる(費用ロスを小さくできる)」ことをお話ししご理解を申し出たのです。
それが1年前の大体今頃。

面談は進みました。男の子2人は辞めることに納得していただきました。
ところが中2(つまり今年の中三)のご父兄の一人から「何とか入試まで(つまりあと一年)面倒を見てほしい。」私が「この授業料では今の人数ではペイできないからそうなると授業料を多少上げなくてはいけない」というと、「多少授業料が上がっても良い」とおっしゃっていただきました。その時はやんわりとごまかしたのですが、次の中3のご父兄の時も同じような感じでした。考えようによってはありがたいことでもあります。もうすぐつぶれるかもしれない塾で受験生活をかけたい、と言ってるわけですから。しかも多少授業料も上げてよい、と言っていただけるのですから(尤も好きで言ってるわけではないでしょうけど)。

中2のご父兄が2人、中1のご父兄が1人同様のことを言っていただき、少し考えました。
幸い?私は独身です。私が妻帯者なら一番大切な人のことを優先します。しかし独身ですから親兄妹を除けば一番大切なのは、やはり生徒です。四半世紀塾の先生をしてきてある意味「生かしてもらってきた」わけですから。

そこで、面談の趣旨を一部変更しました。
授業料を変更して(少しですがあげさせていただいて)、もし塾生の売上が塾の経費分(家賃、光熱費など)賄えるのなら、もう1年続けることにします。またそれでは私の生活費が出ませんから私の生活費は私がアルバイトをすることにする。またバイトの先生がいなくなるので、今まで任せてきた英語の授業も含めて私がやることにする。
それでよければ、残ってくれる生徒の人数をみて継続します。という風に面談の趣旨を変えたのです。

長くなるので続きは明日。